『シビルウォー キャプテンアメリカ』 ーヒーローの虚しさー
一番印象的だったのは、キャプテンアメリカとのバトルのあと倒れているトニースタークの姿だった。
怒りに任せて復讐をしかけてしまい、その中でかつての友人を殴ってしまったトニー・
スターク。しかも結果は敗北。その虚脱感というか取り返しのつかなさ、屈辱感が
あの姿に表れていたように思った。
映画の始めからトニースタークは、スティーブロジャースを彼の旧友であるバッキー
に取られてしまう格好でなんとなく惨めな感じだった。
そんな彼は、状況がそうさせたとは言え、友人で会ったスティーブロジャースと2回も
大きな喧嘩をすることとなり、結果としてさらに惨めな目に合ってしまう。
監督自身が『セブン』を念頭に置いたと言っているように、
登場人物が状況にからめとられて結末に向かうという構図は確かに『セブン』と同じ。
アメコミヒーロー映画はヒーロー性を相対化されてしまう映画が多いけれど、1人の「男」としてあんなに惨めな姿を晒したスーパーヒーローは初めて観た気がする。
(『キャプテン・アメリカ』シリーズが、「高潔な正義が通用しない」ということの他
に、「男性性」という背骨があるということもあるかもしれないかもしれない。)
スーパーヒーローが集結するというお祭り的な要素も持ちつつ、ヒーローのウェットな
部分も観られてとても満足な映画だった。