白紙

書くことも何も決めていません。

上司を好きになりました?(自己分析を兼ねて)

異性の既婚の上司を好きになりました。

 

と書くと、不倫物のドラマみたい。

 

でも、半分くらいは本当。

その上司は去年から同じ部署にいた方で、今年の4月から一緒に仕事をするようになっ

た。明るくて、いつも話を聞いてくれて優しい上に、仕事のできる方なのだ。

(と、ここまで書いてみて、「こんな自分にもったいないと思っている節がある」とい

うことに気づいた。)

 

「この人が上司でよかった」と思ったことは何度もあり、大好きな上司なのだけれど、

正直どうやってそれを伝えたら良いのか、そもそも伝えてよいのか分からない。

なぜならば、性別が違う上に既婚者だからだ。

既婚者に向かって、自分の「好き」という感情を伝えていいのかわからない。

また、伝えていいとしても、恋人がいた経験がない自分にとっては、

自分の伝えたい「好き」が、伝えてよい種類の「好き」なのか分からない。

 

先日一度ランチをご一緒したのだけれど、

それ以来そのことでずっと気持ちがぐるぐるしている。

『シビルウォー キャプテンアメリカ』 ーヒーローの虚しさー

今更ながら『シビルウォー キャプテンアメリカ』を観た。

 

一番印象的だったのは、キャプテンアメリカとのバトルのあと倒れているトニースタークの姿だった。

 

怒りに任せて復讐をしかけてしまい、その中でかつての友人を殴ってしまったトニー・

スターク。しかも結果は敗北。その虚脱感というか取り返しのつかなさ、屈辱感が

あの姿に表れていたように思った。

 

映画の始めからトニースタークは、スティーブロジャースを彼の旧友であるバッキー

に取られてしまう格好でなんとなく惨めな感じだった。

そんな彼は、状況がそうさせたとは言え、友人で会ったスティーブロジャースと2回も

大きな喧嘩をすることとなり、結果としてさらに惨めな目に合ってしまう。

監督自身が『セブン』を念頭に置いたと言っているように、

登場人物が状況にからめとられて結末に向かうという構図は確かに『セブン』と同じ。

 

アメコミヒーロー映画はヒーロー性を相対化されてしまう映画が多いけれど、1人の「男」としてあんなに惨めな姿を晒したスーパーヒーローは初めて観た気がする。

(『キャプテン・アメリカ』シリーズが、「高潔な正義が通用しない」ということの他

に、「男性性」という背骨があるということもあるかもしれないかもしれない。)

 

スーパーヒーローが集結するというお祭り的な要素も持ちつつ、ヒーローのウェットな

部分も観られてとても満足な映画だった。

 

 

 

金曜日に詩を作ってきた。

金曜日に詩を作ってきた。

 

とある出版社で開催されたワークショップに参加して、

自分の言葉が普段いかに縛られているかを感じてしまった。

 

仕事で文書を作るとき、もちろん言葉を使う。

その時注意しなければならないのが解釈の余地を残してはいけないということだ。

思うに、主語⇒述語という順序と組み合わせを崩してはならないし、

簡潔に伝わるように、起こった事象を説明する以上の言葉はなるべく省いて書かれる。

 

ワークショップ内で出ていた例を借りれば、

 

例1:私の思い出の詰まった水筒を失くした。

 

という文章になる。

(もっと言うと、恐らく「思い出の詰まった」は「大切にしていた」になるか、カットされる。)

 

ただ、詩ではこれを次のように崩すことがある。

 

例2:私が一杯詰まった思い出の水筒がなくなった。

 

「私」という物質が「思い出」に一杯詰まっているということはあり得ないので、

普段はこんな文章を書くことはない。

けれども、例1の文章よりもずっと、水筒がなくなったことに対する悲しさ・寂しさが

込められているように読める。

「思い出」に「私」が詰まっているということは、なくした水筒とともに過ごした数々

の「思い出」が「私」を形作っているということを本人が自覚しているということであ

り、つまりは水筒が「私」の一部でもあったということを意味するからである。

 

このように、詩の自由さは、事象をいかようにでも記述できるからこそ、数ある言葉の

中から特定の言葉を選んだことに対して理由や意味を込めることができることにあるの

だと思う。

 

逆を言えば、どんな人がどのような書き方をしても、

そこには意味や理由があることを認められうるのである。

(とは言え、上手い下手はあるし、良い詩悪い詩というのもあるはず。)

 

そういう自由さに、なんとなく憧れる。

ブログを作ってみる

ブログを初めて書いてみる。

(厳密にいうと初めてじゃないけど。。。)

 

初めての記事と言うことでこれを書く理由について。

 

twitterじゃ書きづらい。

140字という制限もそうなんだけど、

なにより知り合いにみられているというのがどうも書きづらい感じがする。

 

②腰を落ち着けて何かを書いてみたい。

職場で文書を作ることは多いが、言い回しや書く内容が決まっていて、

窮屈な思いをいつもしていたので、自分の言葉で物を書いていたいと思っていた。

自分がどれだけ物を書くのに不自由するか、どれだけ下手なのかということも体験してみたかった。

ただ、スマホtwitterやlineを使うとすると、落ち着いて言葉を選んで書くのには、

不向きかなと思い踏み切ってみた次第。

 

という訳で書く内容も何も決まっていないので、

すぐに書くのをやめるかもしれません。

(そもそも見る人いないだろうけども)